2022年9月にNHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなりました。
『できるかな』とその愛されたキャラクター、ノッポさんの物語は、多くの方々にとって懐かしい記憶として刻まれています。
しかし、その誕生秘話やノッポさん自身の意外な一面、感動的な最終回の裏話、そして彼の残した深い教育への情熱については、意外と知られていないかもしれません。
この記事では、そんなノッポさんと『できるかな』の魅力を再確認し、ノッポさんの残した功績や子供たちへの思いを見ていきましょう。
『できるかな』とノッポさんの誕生秘話
運命の転換点
『できるかな』のノッポさん、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき)さんは、は32歳のときにNHK教育テレビ『なにしてあそぼう』のノッポさん役に抜擢され、これが『できるかな』へと続く運命の始まりでした。
高見さんがこの役を得たのは、当時としては高身長であったことから「ノッポ」という名前が付けられました。『なにしてあそぼう』が終了し、『できるかな』が始まった際、当初は出演していなかったものの、視聴者からの強い要望により1年後に再び番組に呼ばれ、以後レギュラーとして親しまれることになります。
この期間を経て、しゃべらないキャラクターとして国民的な知名度を得るに至りました。
前身番組からのつながり
『できるかな』の前身である『なにしてあそぼう』では、ノッポさん役の高見さんは話さず、ジェスチャーだけで意思表示をするという当時としては斬新な演出がなされました。この演出は視聴者に受け入れられ、人気を博しました。
もともとは、当時バックダンサーの仕事に来ていた高見さんへ、NHKで新しく始まる音楽番組の司会のオファーがあり、出演するのは超一流の歌手ばかりで順調かと思えた矢先、番組が半年ほどで打ち切りになりました。
その後様々な仕事を転々として32歳になったころ、二つの番組へのオファーが…一つは女性のダンサーとコンビで新しい『音楽番組』、もう一つは『造形番組』。
出る人物はのっぽさん一人。好きなことがやれそうと、迷わず『なにしてあそぼう』という造形番組を選択しました。その選択が、後に『できるかな』へと繋がり、20年にわたる長寿番組へと成長するきっかけとなりました。
この間、高見さんは自身の不器用さを生かし、番組を通じて「真剣に取り組む姿」を視聴者に伝え続けました。彼のこの姿勢は、番組が続く大きな理由の一つとなり、多くの子どもたちに愛される要因となりました。
高見さんは、子どもたちを「小さい人」と呼び、常に敬意を持って接していました。
この接し方は、彼が番組で示したキャラクターだけでなく、実生活においても貫かれていたものです。彼は子どもたちとの交流を通じて、彼らを対等な存在として扱い、常に真剣に向き合うことを大切にしていました。
ノッポさんの意外な一面
不器用な天才
のっぽさんは、画面上では器用に様々なものを作り出すキャラクターとして愛されました。
しかし、実際には、彼は自らを「超がつくほどの不器用」と表現しています。番組で見せる工作の手際の良さとは裏腹に、セロハンテープを扱うのも一苦労だったといいます。
この不器用さが、むしろ番組の魅力を高め、真剣に取り組む姿が視聴者、特に子供たちに愛された理由の一つなのかもしれません。
私生活
プライベートでは芸名を「高見のっぽ」に改名し、老若男女に慕われるにぎやかな日々を送っていました。
彼の周りには、お仕事の関係者から、最近のことを教えてくれる人、食事を作りに来てくれる人、子育ての相談に来る人など、さまざまな人が訪れていたとのこと。彼自身、なぜ自分が多くの人々の面倒を見なければならないのかと冗談を言いつつも、その人柄や、人との関わりを大切にする姿勢が伺えます。
高見さんは、自らを「ずば抜けて悪い子であり、賢い子だった」と振り返り、小さいころの自分を思い出しながら、子どもたちと対等に向き合うことを大切にしてきたようです。
最終回での沈黙破り
感動の一言
ノッポさんは、『できるかな』の最終回で初めて視聴者に直接話しかけました。
24年間沈黙を貫いてきたのっぽさんが「あ~あ、しゃべっちゃった。今日はね、特別なんです」
その言葉は多くの人にとって衝撃的な出来事だったと思います。
この時の彼の言葉は、番組と共に成長してきた多くの子供たちや、それを見守ってきた大人たちにとって、忘れられない感動の瞬間となったことでしょう。
SMAPの稲垣吾郎さんもその瞬間の衝撃を語っています。
ノッポさんの遺産
文化への貢献
番組終了後も、ノッポさんの文化への貢献は続きました。彼は放送作家としても活躍し、多くの番組で台本を手がける一方、絵本や児童文学の作家としても活動。
50冊近くの著書を発表し、子どもたちの想像力を育むための作品を提供し続けました。さらに、自ら脚本・作詞・歌唱・振付を手がけた「グラスホッパー物語」は、NHK「みんなのうた」で放送され、71歳にして歌手デビューを果たしました。
この作品は海外の映像祭でも評価を受け、文化庁メディア芸術祭で受賞するなど、幼児・児童教育の分野で長年の功績が称えられました。
87歳になっても、彼は「のっぽさんチーム」と呼ばれる多世代の人々に囲まれながら、毎日を充実させて過ごしていました。
彼の生き方自体が、多くの人にとっての学びやインスピレーションの源となっています。
教育への情熱
子どもへの敬意
『できるかな』では、ノッポさんとゴン太くんが展開する無言劇を通じて、子どもたちへの深い敬意が表現されていました。
番組では、子どもたちが主体的に考え、行動することを促す内容で構成されており、子どもたちの好奇心や創造力を尊重する姿勢が随所に見られました。
ノッポさんのキャラクターは、子どもたちに対して常に優しく、アイデアや感情を大切にするようにしていたとのことです。このような姿勢は、子どもたちが自分自身を価値ある存在と感じ、自己表現の重要性を学ぶ上で非常に重要で、多くの子供たちの創作意欲を潰すことなく育めたのではないかと思います。また、番組が提供する工作活動は、子どもたちにとって自分のアイデアを形にする手段となり、自己実現の喜びを教えてくれました。
『できるかな』は、子どもたち一人ひとりの個性や創造性を尊重し、それを育むことに力を入れた番組でした。ノッポさんとゴン太くんの関係性は、大人と子どもの間にあるべき理想的な相互理解と尊重の模範だったのではないでしょうか。
まとめ
永遠のメッセージ
日本の子どもたちに長年愛されたノッポさんは、2022年9月に88歳で心不全のため亡くなりました。
彼は「できるかな」での活躍を通じ、多くの子どもたちに工作の楽しさを伝え、また自らが書いた児童書やミュージカルの舞台に立つなど、子どもたちの教育と娯楽に大きく貢献しました。
彼の死は公にされるまで半年以上経過しており、これは彼自身の希望によるものでした。彼は、自分の死で周りを悲しませたくないと考えていたと言われています。
高見さんは、生涯を通じて子どもたちへの愛情深いまなざしを持ち続け、日本の未来へ子供たちを導いた功労者といえるでしょう。
おわりに
いかがでしたでしょうか?
もう30年以上も前の話なので「なんとなく名前は知っている」「番組名は聞いたことがある」「ゴン太くんは見たことある」などの意見もあるとは思いますが、教育番組としてその後続いていくモノづくり系番組の先駆けでもあった『できるかな』は、「ノッポさん」というキャラクターだけでなく「高見のっぽ」さんを生み出したある意味伝説的な番組なのではないかと思います。
本記事では、『できるかな』に登場するノッポさん改め「高見のっぽ」さんについてまとめました。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
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